【 アニ×シェアの信念 】
アニメ好きのシェアハウスなのでアニメの話をすると、私はアニメが好きです。
アニメを見て癒されたり、元気をもらったり、時には人生を学んだりしたからです。
世間ではアニメ好きな人を「オタク」と呼びますが、私は「アニメ好きに悪い人はいない」と思っています。
家庭の事情や持って生まれた性格もありますが、多くの人は集団になじめず、愛想笑いが出来ず、
流行にも乗れない、だから一人になりがちで…
だけど意外と一人も好きで、好きなことに嵌ると辞められない…
そういう人は無口でやさしい、寂しがり屋が多いのです。
そんな人がアニメに嵌るのは当然の事だと思います。
(人は受けた愛情の分だけ優しくなれると言いますが、その逆もしかりで、もし犯罪を犯すような人が居たら
それはアニメ好きだからではなく、愛情を感じることが少なかったからではないでしょうか…)
だけど、今の若者の間では「オタク」は「好きなことを持っている人」「こだわりのある人」と肯定的に観られ
始めています。これからの時代オタクには大きな可能性があると思っています。
ちなみに私は小さいころからSFアニメが好きでした。ガンダムのニュータイプにわくわくしたり、
コブラの精神力をエネルギーに変えるサイコガンに憧れもした、だから
攻殻機動隊やパトレイバー、サイコパスなど、ちょっとリアルな近未来を描いたものが好きです。
アニ×シェアは人口減少・少子高齢化など社会規模が縮小していく中で、若者の未来は明るいのだろうか?
一人で生きていくことさえ困難なのに、一人で二人の老人を支える社会など成り立つのだろうか?
そんな若者を少しでも支援したいと思ったのが始まりでした。
世界の富の半分を30人未満の超富裕層が持つほど格差が広まった資本主義社会。
もしその富が分配されたなら、年金問題もなくなるのかもしれない。
「お金=幸せ」「個人主義」「競争」それらの価値観が原動力となった資本主義は、
成り立ちから資本家に富が集中するシステムで、貧困の時代であれば、
みんなが豊かになるのであればそれでもよかった。
しかし、バブルの崩壊以降、若者は100円ショップのコスメで十分楽しめるほど物やお金に執着はなく、
YouTubeやSNSで評価される方が喜びになっている。
もちろん生きていく為に最低限のお金は必要である、しかし「お金=幸せ」でないのなら、
いったい何が幸せなのだろうと考えたとき、それは「人」ではないかと思った。
人は他人(ひと)に認められ、他人(ひと)に必要とされたときに生きてる実感を得るのであって、
他人(ひと)に喜ばれ、感謝されたときに生きてる喜びを得て、幸せと感じるのではないか、
「人は一人では生きていけない」それは自分一人では何もできないという意味ではなく、
「一人では生きてる意味がない」という意味ではないだろうか…
シェアハウスとは一つ屋根の下で赤の他人と暮らす特別な場所、水廻りから調味料まで自分の部屋以外はすべてシェアする。
だからこそ、同居人への思いやりが必要で、他人(ひと)に与え、与えられることの喜びを得て、
楽しく快適に住むことが出来る
その為のスキルを学び、人間力を増すことがこれからの社会に必要な事だと思うし、
シェアハウスはそのことを学べる社会で唯一の場所ではないかと思う
「人を学ぶ」シェアハウスには無限の可能性がある。それがアニ×シェアの信念です